2010.10.23 Sat
7です つづきからどうぞ!
「おい、今日は暇か」
及川が放課後に珍しく声をかけて来た。
「え」
暇じゃないけど…琢磨は、例によって図書館へ行こうとしていたところだった。もちろん、手には道衣の入った袋を持っている。
「今日、部活休みになったんだ。どっか行かねえ?」
「へえ、珍しいねえ」
そう答えながら琢磨は考えた。
こういうときは、彼女を誘うべきじゃなか?せっかくいるんだから。その自らの考えに琢磨は全く賛成だよと思えたので、そのまま口にした。
「彼女は?いいの?」
「ああ、今日はダメだってさ」
「あ、そう。なんだ、彼女の代打かよ」
ま、いいか。たまには。琢磨は道衣をロッカーにしまい、今日の放課後は及川に付き合うことにした。
そう言えば次の大会には、噂に聞く星秀の彼女もきっと応援に来るだろうから目にすることが出来るんだろうなと琢磨は思った。
しかし、なんでみんなまるで友達が増えるみたいに簡単に彼女が出来たり、別れてもすぐ別の女の子を見つけてきたりするんだろう。おかしくない?そう言うと、及川は笑って聞いた。
「お前は?」
「うーん、俺はしばらくいいよ」
高校受験を機に付き合いを止めてしまった中学時代の同級生の女の子のことを、琢磨は思い切れずにいた。
付き合ってよと早速言ってくる女の子もいたけれど、入学してそれほど時間も経っていないのに、一体俺の何が分かるって言うんだ、と半ば自棄な気持ちで断った。
この前の居酒屋でその話をすると、瀬田は「勿体ねえな、馬鹿正直だなあお前」と笑い、椎名は「すごく琢磨くんらしいなあ」と言い、桧垣も「そうですねえ」と頷き、指導員も笑い「そのまま清く正しく生きろよ」と言った。
「いいんです、当分の間は道場通いに燃えますから俺」
言い切った琢磨は決意を新たにした。
「そんなこと言ってると、本当にそういう生活になっちゃうよ」
桧垣が笑うと瀬田が応酬する。
「お前がそうじゃん」
「なに…」
さすがにむっとした顔をした桧垣を指導員が宥める。
「おおい、そんなことで喧嘩するなよ」
琢磨は笑ってはいけないと思いながらも、おかしくて仕方がなかった。
琢磨と及川はCDショップやゲームセンターに寄った後、マクドナルドでハンバーガーのセットを食べてから帰途についた。
琢磨と及川の地元は同じではないが、比較的近くに位置している。
「すずらん通り」という看板が掲げられた商店街(見るたびに「もっとマシな名前は考えつかなかったのだろうか」と思わせられる)のアーケードへ入り、もう道場も近いなというところまで来た。
夕刻、人通りも多い。この時間からならまだ、道場へ行っても多少遅れた程度で稽古に参加できるが、道衣は学校に置いてきた。
(あ、星秀だ)
遠目でも、琢磨には星秀の姿がすぐに分かった。背が高いから目立つのだ。
星秀は、携帯を片手に話しながらこちら側へ歩いてくる。それも、笑いながら。
道場で、友達や副師範と雑談をしているときと同じ顔だった。
相手は彼女かな。先の及川との会話から連想し、琢磨は思った。
星秀も制服を着ている。そして眼鏡をかけていたので、向こうにもすぐに琢磨が分かったようだった。星秀の歩幅が広いため、思ったよりも速く近づいてくる。
星秀は、琢磨と及川とのすぐ手前で電話を切った。その表情はまた仏頂面に戻る。
「よ」
「…こんばんは」
琢磨と星秀は立ち止まって短い挨拶を交わす。
「何やってんだ?もうとっくに始まってるだろ」
琢磨を見下ろしながら星秀は言う。
時間は7時を過ぎていた。星秀が遅れたのは、部活動が長引いたからに違いない。
「俺、今日は休みです」
別に悪いことをしているわけではないのに、琢磨は気後れを感じた。
道の真ん中で立ち止った3人を邪魔そうにして、通行人が横に除けて歩く。
自分よりも大分目線の高い二人に挟まれて、琢磨は少し機嫌が良くなかった。
すぐそばで、自転車のベルが鳴らされる。
「そうか。じゃあ、またな」
手を小さく振って星秀は去っていく、横目で及川を一瞥して。
一瞬で力が抜けてしまった。及川が星秀の姿を目で追っているのに気づく。
「なあ、あれ誰?」
「え、…友達」
一応間違っちゃいないよな、と琢磨は答えた。知り合いっていうよりは…いや、正確には「先輩」か?琢磨の思案をよそに及川が続ける。
「あいつ、名前は?」
「な、名前?星秀」
答えを聞いた及川は妙な顔をした。
「そんす~?変な名前だな」
「うん、まあ…」
説明した方がいいかな、と再び琢磨が考え始める前に、及川が再び聞く。
「なあ」
「なに」
「あいつ、空手とかやってる?」
及川の疑問は琢磨を驚かせた。そんなこと、1度見ただけで分かるのか?同じ武道家だから?…と考えた後、あ、それを言うなら一応俺もそうなんだ、と笑えた。
「か、空手?…は、やってないと思う」
これも、別に間違いではない。
「ふうん」
珍しく食い下がる及川の様子が気になり、琢磨は目の前の顔を見上げて聞いた。
「及川、もしかして星秀のこと知ってるのか?」
「そんなわけないだろ。知ってたらお前に聞くはずないじゃないか」
それもそうか。
「でも、なんで?」
琢磨は及川の顔から目を離さずに再び聞いた。
だが、「別になんでもない」と答える及川に表情の変化は見られなかった。
それでもじっと及川を見つめつづけていると、「小さい奴は無理して爪先立ちしてんなよ」と押し返された。
なんだか馬鹿にされたような、というか確実に馬鹿にされた気がする。…まあ、いいか。なんでもないって言ってるんだし。
会話は終了した。及川は無言で歩き出す。今日は涼しい。琢磨もすぐに後を追った。
一年はすぐに過ぎた。
琢磨はいつものように、道場への道を急いでいた。
足元に桜の花びらが吹かれてきたのにもすぐ気づくのは、下を向いて歩いていたからだった。
顔を上げて、道路の反対側の公園を眺めた。桜が散り始めて久しい。暖かく湿ったこの空気は、自分が始めて道場へ足を向けた日を思い出させた。
最近ずっと考え続けていたことを、また考え始める。
考えないようにしよう、と思うと返ってそのことは頭の中へ舞い戻ってきて、琢磨の歩みを自然と遅めた。
(マッソギが苦手だ…)
自分はマッソギ…組手が苦手なのかもしれない。一度そう思ってしまったら、否定することが出来なくなってきてしまった。
入門して半年目にして初めて昇級審査を受けた琢磨は無事に飛び級で合格し、八級となって黄帯を締めた。
その後も勉強の合間を縫い頻繁に稽古に通い、つい2週間前に2度目の審査を受けたのだった。審査の結果はもうじき分かることになっていた。
帯の色は、白帯は十級、黄帯が八級、緑帯が六級、青帯が四級、赤帯が二級となっている。
その次が黒帯、初段となる。
奇数の急は、帯の端に次の帯の色の線が入る。例えば九級は、白地に黄色い線だ。審査での出来にもよるが、飛び級で昇級する者が多い。
昇級審査は、大抵は道場主の勧めによって受験する。
充分な技能を修得して、稽古への出席日数も足りていると判断された者が受験を勧められるようだ。受験するかしないかは自由で、もちろん勧められなくても自発的に、審査を受けたいと申し出る者もいた。
琢磨は前回も今回も、副師範に言われて審査を受けた。
半年という比較的短い期間の間に受験を進められたのは、やはり彼の熱心さと上達の早さによるものだった。
「琢磨は真面目だからなあ」
幾度となく、同じ意味の言葉を色々な先輩達に言われてきた。
練習しようか。稽古の後、特に桧垣は琢磨にそう言ってくる頻度が多かった。昇級審査の課題にもよく付き合ってくれたものだった。
琢磨は、鏡の前で初段の型の練習をしている他の道場生たち、椎名と、相変わらず金髪の瀬田の後ろに場所を取る。
そして、審査課題の型の動作を一通り終えた。
「うん、俺はそれでいいと思う。瀬田と椎名さんは?」
桧垣はそう言って琢磨のトゥルを評価した後、自分の隣に座り込んでいた椎名と瀬田に意見を求めた。二人は自分の練習を中断して、琢磨の型を眺めていたのだった。
「琢磨くん、上手くなったねえ。僕もこれなら問題ないと思うよ」
椎名も褒めた。
「なあ桧垣、なんだかお前がやるトゥルと似てるな~」
瀬田の一言を聞き、琢磨は思わず叫ぶ。
「ほんとですか!」
「そうか?うーん、俺が教えてるんだから似てくるのかもな。な」
同意を求められても、当の琢磨にはよく分からない。
「そういうもんなんですか?」
とめどなく流れ落ちる汗をぬぐいながら琢磨は聞く。
「じゃあ、もしかして蹴りとかもですか?」
型は、同じ動作をしていても人によって勿論違いが出てくる。道場、つまり指導者の個性が出るとも言う。
実は琢磨は、桧垣のトゥルよりもマッソギのスタイルの方に憧れを持っていた。あんな風に出来ればいいな、と。
桧垣の代わりに瀬田が叫ぶ。
「まあ、それはそれだ!おい、今は審査のことだけ考えろよ、明日なんだしな。今度は空蹴りの練習な。桧垣、いいだろ。ちょっと待ってろ、水飲んでくるぜ」
瀬田は張り切って、すっかり指導モードになっている。
「あ、はい…」
「瀬田くん、厳しいんだなあ」
一度更衣室に戻る瀬田を見ながら椎名が笑う。ふと疑問に思い琢磨は額の汗を袖で拭ってから聞いた
「いいんですか、瀬田さんとか…自分の練習しなくても」
「きっと琢磨くんの練習が見たいんだよ。いいんだ、僕らだって昔は色々な人たちに指導してもらってきたんだ。あ」
壁面の時計を見て椎名は、ミットを取りに行っていた桧垣の名前を叫んだ。
「桧垣くん、僕もうあがるから!」
「あ、わかりました~。お疲れ様でした」
桧垣は叫び返し、再び几帳面な様子でミットを選び始める。
「じゃあ、お先に。琢磨くん、明日は頑張ってね」
「ありがとうございました。椎名さんにしては早いですね」
「明日出張なんだ。じゃ、またね」
結局その日から審査が終わった後も琢磨が椎名に会う機会はなかったのだったが。
その日、審査前日の練習を終えると瀬田がまた琢磨に言った。
「まったく、琢ちゃんは真面目だからな~」
あまり何度も言われると褒められているのかそうでないのか分からなくなってくるが、にやにやしながらも瀬田の様子はそう琢磨をからかっているようにも見えなかったので、褒め言葉と取ることにした。
「真面目にやってきたんだからさ、きっと明日の審査も余裕だぜ?なあ、桧垣」
「ああ、そうだな」
揃って言う2人に向かい、琢磨は「ありがとうございます」とちょこんと頭を下げるぐらいしかできなかった。あまりにも照れくさかったものだから。
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